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悪い男 18


「司さんは何処かしら」

 カツカツとヒールの音を響かせていた女は、自宅に戻るなり後ろに控えていた使用人に声を掛けた。 すると、使用人は音もなく足を前に踏み出して、恭しく頭を下げた。

「奥様、お帰りなさいませ。坊ちゃんでしたら今夜は予定があるそうで、お帰りは遅いと聞き及んでおります」

「……そう」

 表情を変えないまま踵を返すと、女は自身の執務室に向かう。
 そこで待っていたのは、昔からよく知る人物だ。

「社長、お帰りなさいませ」

「挨拶はいらないわ。時間の無駄よ。それより、彼女について教えて頂戴」

「はいっ」

 指示を出された秘書は自分用に用意されている席に再び着くと、無数にある書類の中から付箋をしていた数枚の紙を取り出す。

「こちらでございます」

「……」

 差し出された紙を、無表情な、いやむしろ冷徹と言っていいかもしれない表情でパラパラとめくっていく。
 女が無表情なのはいつもの事。 なのに何故、時折 “ 恐ろしい ” と感じてしまうのか。
 秘書・八代は額に汗ばみを感じながら上司の声を待つ。

「いいんじゃないかしら」

「えっ?」

ーー聞き間違いだろうか?

 驚きの余り声をあげてしまった。
 てっきり、この後はいつものようにその時々で最重要な取引先との婚約を勧めよと命じられるものと思っていたのだ。
 知らず知らずのうち、自身の心音が早まっていく。

「あの、」

「何?」

「司様と光井コーポレーションのお嬢様の婚約話は……?」

 こんな事を聞くなんて、本当はしたくない。してはいけない事だ。
 それでも叱咤を覚悟で聞いてしまった。
 彼が、自分よりもはるかに格下との付き合いをしているなんて。

「あの子ももういい歳をした男です。 今のままこちらから強引に縁談を勧めれば、いらない敵が増えていくばかりだわ。 相手に後ろ盾があるに越した事はないけれど、生涯独身を貫いて血の繋がりのない養子縁組をするのに比べたら、自分で選んでくれただけでも上等でしょう」

 彼女は、後ろ盾はなくとも有能ではあるようですし。
 自身の決死の覚悟とは裏腹に、そんな言葉が返って来た。

「だから、今までのように司さんの縁談の準備をお願いすることもなくなるわ。あなたが従兄弟だからといって無理を言ったわね。今までご苦労様」

「……っ、もったいないお言葉でございます」




 女は、思い通りにならない現実に歯噛みした。

 これまでせっかく、彼に近づく者は秘密裏に排除して来たというのに。
 最終的に彼の一番になる為の計画が水の泡ではないか。

ーーいやだ、彼が誰かのものになるなんて。

 幼い頃から美しかった二つ年下の彼。
 初めて会った時から、彼を自分のものにしたかった。
 血が近い事と、親族であるため既に共同経営している自分の実家との政略結婚は話に上がることはなかったが、逆にそれを利用して彼の縁談話を潰してきたのだ。
 幸い彼には、一晩の関係だけを好み特定の相手はいなかった。
 実家もその地位を盤石にする為に自分の応援をしてくれていたし、彼の血を継ぐ跡取りを欲しがる彼の母親も、いつかは優秀な自分を視野に入れてくれる事を願っていたのだ。

ーーだが、言われてみれば。

 いつから彼は、同伴が必要なパーティに自分を指名してくれなくなった?
 煩わしい事を嫌う彼は、従兄弟である気安い関係の自分にいつも電話をくれていたのに。
 思えば一年以上あの愛しい声を電話越しに聞いていない。 政財界は毎月のようにパーティがあるのに一年以上ないということは、その相手がずっと彼の隣にいたということではないか。

「…………許せない」

 自分がやっと社長秘書の座に着いたのは、同伴を頼まれなくなったのと同時期。
 毎日毎日、信じられないくらい忙しい社長についてまわる日々ではパーティどころではなかったかもしれないが、それでも自分は彼の為だけに血を吐くような努力を続けていたというのに。

「牧野つくし……ッ!」

 ギリッ、と掌に鋭い爪がくい込む。
 だがこんなのは胸の痛みに比べたら屁でもない。
 あの、女に無関心な最愛の男をどうやって唆したのか。どんな女でも良くて一晩過ごして捨てられるのが関の山なあの最上の男を。

「そうよ。司は、卑しいあの女に騙されているのね」

 汚い手を使ったのだ。
 そうだ、そうに違いない。
 だから彼は、一刻も早く自分の手の内に戻してしまわなければ。

 掌に滲み出した血が、彼女の美しい指を伝った。



******




「なあ、今晩どうだ?」

「…………どうだ、って」

 あんたはオヤジか。
 最近妙に距離を詰めてくる副社長に、無礼にもそんな事を思ってしまう。

「結構です。 前にも言いましたが、お金ないですし。 今はダイエット中ですから」

 せっかくカロリーを調整できる自作のお弁当に変えたというのに、最近副社長の晩御飯の誘いが頻繁な為に1キロ増えてしまったのだ。

「…………ダイエットぉ?」

「あたしも一応女の端くれですからね。ダイエットくらいしてます!」

「お前はむしろ肉をつけろ。 抱き心地が悪い」

 人を馬鹿にしたように笑う副社長にムッとして、精一杯の反論を試みる。
 いくら副社長にはあたしがペットかぬいぐるみ程度にしか見えてなくても、こっちにもプライドがあるのよ!

「……お前はバカか? いくらなんでもペットに発情するわけねーだろが」

「はっ、発ッ!? てか、ええっ?」

「ええ? じゃねーよ。また全部声に出てるぞ。それにそんなに扱いが不満なら、もっと激しくヤッてやろうか?」

「ちょっ、黙れーー!!」

ーー職場でなんてこと言うのっ!

 声に出してしまったあたしも悪いけど、明け透けな言いかたに顔が熱くなってくる。
 そんなあたしにはお構いなしに、可笑しそうに「まず、自分の独り言をなおせよ」とかケラケラ笑ってるし! ほっとけ!

「かわいい。キスしよ」

「今の流れでなんでそうなるんですか!!」

「じゃ、結婚しよ」

「尚悪いわっ!」







ーーはあ、疲れた。

 そのままでは襲われそうだったので、なんとか給湯室に逃げて来てしまった。
 本気なのか、冗談なのか。よくわからないプロポーズをどう受け止めたらいいのか、あたしは未だにわからないでいる。
 だけど、一つだけわかったことがある。
 いや、わからされた、思いしらされたと言って良いかもしれない。

 あたしはやっぱり、副社長が好きなんだ。

 副社長が本気であろうが遊びであろうが、毎日ドキドキして、キスされる度に胸が苦しい。
 ずっと見て貰いたかったその瞳が、間近であたしだけを写してくれている。
 今更うそだって、信じてんなバーカって言われてしまったら、想像しただけで泣きたくなるほど胸が痛い。

 目の前で静かに落とされる珈琲の雫が、静かに積もっていったあたしの恋心みたいだ。

 “ 好きだ、愛してる ”

 副社長の言葉はあたしを自惚れさせる。
 身の程知らずのこの恋を、叶えたくなってしまう。
 あの、熱に浮かれた見たいな瞳を信じてしまいたくなる。

「…………ずっと好き、です」

 まだ言葉にできない言葉をあなたに伝えたら
、あたし達の関係はどうなってしまうんだろう。





カタン

「……お、戻ったか」

 副社長お気に入りの珈琲を置くと、パソコンに集中していた副社長が顔を上げた。

「ん。 美味いな」

「…………」

 僅かに綻ばせるその顔が好き。
 あたしが淹れた珈琲だけに笑ってくれるその顔が、泣きたいくらいに好き。

「あの」

「おっ? やっぱり今晩付き合う気になったか」

「…………」

 にやにやと、またあたしを揶揄う顔で。
 そんな副社長は今からあたしが言う言葉にどんな反応をするかな。

「はい。 気が変わりました」

「ッ!?」

 驚愕に見開かれた顔には、どんな意味があるの?

「副社長、今日の夜はあたしといて下さい」
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